2011年08月10日
「死後の世界」についてVer.3
おはようございます。栗が丘クリニックマネージャーの荒井です。
さて今週は、「死後の世界」ついてお届けしています。
さて、「人は、死んだらどうなるのか?(どこに行くのか?)」というのが、幼少からの私のテーマでした。
なぜならば、人に「魂」というものがあるとしたなら、肉体を離れたときに行く場所が必要となるからです。
死を迎えた肉体と生きている肉体の違いは、「意思が存在するか否か」ということが大きな違いであると言えるでしょう(植物状態はこの際、置いておきます)。
ならば、その「意識」というものがいつ、どのようにして、どこからやってきて、どこへ行くのか?というのは至極、当然に沸き起こる疑問であると思うからです。
もちろん、「魂」とか「輪廻転生」とか信じられないという方もたくさんいらっしゃる事と思います。
また、宗教的な見地(教え)から一方通行的に「天国に行く」と信じていらっしゃる方も多い事と思います。
しかし、ここでまた疑問が湧いてきます。
つまり、私たち自身(意思または意識)の存在とは、「生きているその瞬間だけのものである」または、「人生とは、一度きりのものである」とするならば、私たちは一体、何のために存在しているのでしょうか?
しあわせに生きる事ができている方はそれ以上、何も必要がないでしょうが、不幸せと感じて生きている方にとっては「人生はやりきれないものである」という以外、考える事ができない存在にしかなりません。
たとえあなたが今、この上もなくしあわせでくらしている存在であったとしても「人生は一度きりである」と思った瞬間に、実は地球上に生きる「空しい一存在」になってしまう事でしょう。
どういう事かと言えば、そこに「人として生きる真の価値を見いだす事はできない」からです。
よく、「人間は、万物の霊長である」と言いますが、私たち人類が永遠にそうあり続けるためには「ないことでも『ある』と仮定して、そこに『生きる価値』を見いだして生きる事ができる」ことにこそあると、私は思うのです。
人生において「魂」とか「輪廻転生」とかいうことの存在を無理矢理にでも仮定しないと、おそらくは地球上は殺伐とした光景が広がる事でしょう。
なぜならば、人生が一度きりであるならば「何をしても咎められない」からです。つまり、自分以外の存在に対して「倫理観や道徳心、優しさ、愛等の一切を持つ必要がない」ということと同義になるからです。
また、誰にも罰せられる事がないからです。
そしてまた、一回だけの人生で「あがり」にたどり着けるからです。
道徳心や愛、罪悪感に苛まれる事なく、何事も我慢する必要もなく、好き放題に生きる事ができるからです。
魂の存在も輪廻転生もまったくの嘘でいいのです。
ただ、そう仮定して生きる事によってのみ、得られる世界がある。
それが、「人が、人として生きるために、人たらしめる」唯一の方法であると、私は思うのです。
ということで、本日も、お読みくださりありがとうございました。
クリニック携帯サイトhttp://katy.jp/kurigaoka-clinic/(PCからもご覧いただけますし、PCからメルマガ登録もできます!)
配信停止ご希望の方は、次のアドレスまで空メールをお送りください→stop_kurigaoka-clinic@katy.jp
さて今週は、「死後の世界」ついてお届けしています。
さて、「人は、死んだらどうなるのか?(どこに行くのか?)」というのが、幼少からの私のテーマでした。
なぜならば、人に「魂」というものがあるとしたなら、肉体を離れたときに行く場所が必要となるからです。
死を迎えた肉体と生きている肉体の違いは、「意思が存在するか否か」ということが大きな違いであると言えるでしょう(植物状態はこの際、置いておきます)。
ならば、その「意識」というものがいつ、どのようにして、どこからやってきて、どこへ行くのか?というのは至極、当然に沸き起こる疑問であると思うからです。
もちろん、「魂」とか「輪廻転生」とか信じられないという方もたくさんいらっしゃる事と思います。
また、宗教的な見地(教え)から一方通行的に「天国に行く」と信じていらっしゃる方も多い事と思います。
しかし、ここでまた疑問が湧いてきます。
つまり、私たち自身(意思または意識)の存在とは、「生きているその瞬間だけのものである」または、「人生とは、一度きりのものである」とするならば、私たちは一体、何のために存在しているのでしょうか?
しあわせに生きる事ができている方はそれ以上、何も必要がないでしょうが、不幸せと感じて生きている方にとっては「人生はやりきれないものである」という以外、考える事ができない存在にしかなりません。
たとえあなたが今、この上もなくしあわせでくらしている存在であったとしても「人生は一度きりである」と思った瞬間に、実は地球上に生きる「空しい一存在」になってしまう事でしょう。
どういう事かと言えば、そこに「人として生きる真の価値を見いだす事はできない」からです。
よく、「人間は、万物の霊長である」と言いますが、私たち人類が永遠にそうあり続けるためには「ないことでも『ある』と仮定して、そこに『生きる価値』を見いだして生きる事ができる」ことにこそあると、私は思うのです。
人生において「魂」とか「輪廻転生」とかいうことの存在を無理矢理にでも仮定しないと、おそらくは地球上は殺伐とした光景が広がる事でしょう。
なぜならば、人生が一度きりであるならば「何をしても咎められない」からです。つまり、自分以外の存在に対して「倫理観や道徳心、優しさ、愛等の一切を持つ必要がない」ということと同義になるからです。
また、誰にも罰せられる事がないからです。
そしてまた、一回だけの人生で「あがり」にたどり着けるからです。
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魂の存在も輪廻転生もまったくの嘘でいいのです。
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~「うつ」は、こころとからだの安全装置!~ 栗が丘クリニック
~人財をドブに捨てている経営者~ @栗が丘クリニック
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「もしかして、発達障がい?」と、悩む前に!
今年も、「子育て講座」のお問い合わせをいただきました!
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Posted by chu at 09:22│Comments(0)
│こころの健康
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